藤の花がさかんに咲いていました。
この石には「山太十」と刻まれていました。サンタクロス(聖なる十字)ということらしい。
白い石英の石臼?同心円の傷跡がみられた。
企画者によりコースの草刈りや倒木の処理が事前に行われていました。
このあたり一面がズリのようです。
白い石がみられる。が、水晶はみつからない。
こんな高い場所に坑道穴がありました。
地元の方が話すには、縦抗になっていたらしい。
露天掘りの穴も無数にある。
戦前まで稼働していたようです。
400年前はキリシタンが治外法権の鉱山を隠れ蓑にしてこんな山中で生活をしていた。
当然人権も人命も法に守られてはいなかったのでしょう。
800年前の藤原平泉黄金文化をささえた金山でもあったかもしれません。
華やかな文化とはかけ離れた人たちの生活が想像される場所でした。
とほうもない量のがれきを泥まみれになりキリシタンが運びだし、わずかに得られる金を集め
寺院の仏像にほどこす。皮肉な話である。
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