2011年3月21日月曜日

大津波




宮古自動車道を降りると目に飛び込んだ光景だ。
正面が入浴施設マース。
閉伊川サクラマスの際に利用しようと思っていましたがこの辺りは完全に壊滅している。
地震から10日たちテレビの映像で何度も見たが、実際壮絶ですさまじい、とても痛ましい光景だ。
防波堤が大きく決壊していた。

三陸鉄道のレールが宙に浮いていた。
津軽石川の鮭祭りを行う小屋も無くなっていました。
サケマス孵化養魚場あたりからは大丈夫でした。
豊間根は無事のようでした。
震度6で長く揺れたのですが建物が地震で損傷している様子は見うけられませんでした。
盛岡~宮古間106号線では大木が倒れている場所が結構ありました。


大沢のラーメン屋さんとか木村屋さんがあった場所です。
スーパーマーケットのジョイスやホーマックも全壊でした。
航空自衛隊の基地が近くにあり自衛隊の隊員や車両が多かった。
この先の山田町も街がほとんど壊滅。
街を見下ろす山の中腹を通る山田自動車道で迂回する。
私はいつも自動車道を通るたびに海抜の低い街を心配していた。

45号線山田町織笠で通行止めになっていたが、織笠橋を自動車が走っているのを見た。
自動車道を降りるところで船越湾が見渡せる。
田の浜地区が津波でやられている。
ネットの動画では、山田湾と船越湾が津波で繋がったと言ってた。
この先四十八坂は高台になっていて津波は心配ない。ここに海の家が建っている。
建物の被害は無く。ガラスコップがひとつ割れただけでした。よかった。
裏に住むYさん一家も全員無事。
電気がまだ回復してなかった。
Yさんでは井戸水ポンプが動かないので沢水を利用していた。薪があるし、米、野菜も自家製、生きてゆくには支障ないが、ガソリンが無く近郊の町が壊滅しているため買い物に行くのに困っていた。
食料品をあれこれ持って行ったので喜んでいただけた。
四十八坂を過ぎると浪板海岸。
美しい松並が倒れて観光ホテル2階まで津波の被害をうけていた。
吉里吉里も全滅 。
大槌も全滅
回転寿司釜石ごん太があったあたりから今月開通したばかりの自動車道に入る。45号線両石の通行止めを迂回する。
いわて競馬・馬券場もだめ。
釜石は駅より海がわは壊滅。
スーパーマーケットのマイヤは営業していた。
そして遠野を通り帰路盛岡に向かう。
自然の脅威を見せつけられた。
過去の三陸大津波の経験は活かされなかった。
ここ1~2年三陸ではいろいろな異常現象があった。
そういうとき海の人は大津波がくるんじゃないかという。ケガニを頂いた両石のSさんも津波が来ると言っていたことを覚えている。盛岡でも市全域が停電になり信号がとまり、水道がとまり、夜の明かりが消え、テレビやネットの情報が入らず、携帯電話の充電もできないなどの体験をしました。普段の生活がいかに恵まれていたか感謝を忘れていた。煮炊きの火と水、夜の灯り、物流が不便になり余震におびえるとき家族や地域の人たちの助け合いの大切さを感じた。全国から外国からの支援がありがたいとおもった。
海の神様がまた怒った。と太古の人ならそうおもうだろう。一瞬にして廃墟になった三陸を車で走り、私もそうおもった。
そして福島原発では火の神様が怒っているようにおもえる。




2011年3月7日月曜日

燻製づくり2

燻製つくりの本を買いました。
使わなくなった冷蔵庫、スチールロッカーが利用できる
ということを知った。
それなら10年以上も前から邪魔者になっていた頂き物がある。網棚を3段(取り外し可能)取り付けました。
ばっちり立派なスモーカーです。
予期せぬところでお役にたったロッカーすばらしい!
スペアリブに、味噌、砂糖、にんにく、しょうが、醤油を混ぜたものをすりつけてラップし数日ねかせ
屋外で乾燥させてから燻製にした。
おいしく出来上がった。
肉もこのサイズなら冬の屋外乾燥二週間くらいで生ハム状態になる。
燻製加工しなくてもうまい。



塩鮭切り身を、醤油、砂糖、スパイスに漬け、塩抜きしてから乾燥、そして燻製。

このロッカー製スモーカーなら鮭一匹丸ごとでも、吊るせる。
5月はサクラマスを釣りあげて冷燻に挑戦したい。