2012年9月15日土曜日

閉伊川の石ひろい

 閉伊川本流 川井と新里の境付近 国道トンネルを迂回 旧道にはいる。
旧道に沿って川が流れている。
川原に降りることのできる場所を捜す。
対岸にほどよい大きさの宝の山発見。
けっこうワクワクです。

 軟らかい部分が削られたのでしょうか
おもしろい。
評価額1000円。

 200キロくらいある大物
苔がむしていい感じ。
この付近の川岸によくみられる岩だ。
評価額65万円。
でも重くて持ち出せない。

 上写真岩と同じような種類の石。
丸みが無いからこのあたりにある岩なのでしょう。
評価額800円。

おっ、これは。
真っ黒の母岩に白い石英の縞が 一周。
お気に入り発見。
評価額8万円。
持ち上げるのがせいいっぱいで、
滑る川を渡り、急な登りの川岸を持ち運ぶのは困難におもった。

ずっしりとした質感。
漬けもの石。
評価額1500円。

1か月後筋トレをしてふたたび黒に白線縞の石に挑戦。
抱きかかえるとなんとか歩ける
あとは物欲と二人で、滑る川底をたくみにかわし、
急峻な足場の悪い坂をいっきにのぼり上がったときは意識がもうろうとなりました、
一息ついて車に積み込むと
もう有頂天で帰宅しました。
重さは36キロありました。

腕だけに負担をかけないで
背負うような道具を工夫すれば、
60キロクラスの石も運べるかも。


2012年9月13日木曜日

中尊寺 秘佛御開帳

中尊寺の秘佛
一字金輪佛頂尊(いちじきんりんぶっちょうそん)
平安時代800年前の作
奥州藤原氏三代秀衡の念持佛が
十一月十一日まで御開帳されている。

これを機に9月10日中尊寺を参拝した。


僧侶の説明によると
首の色は当初、白色だったが退色して現在の人肌色になっている
首下は当初の色を再現して手を加えているのだそうです。
とても格調高い仏像でした。

駐車場から月見坂を登り左右に地蔵堂とか弁慶堂とか薬師堂とかが沢山ございます。
地蔵菩薩さまや弁慶・義経や薬師如来さま、大日如来さま、阿弥陀如来さま、お釈迦さま
沢山お参りできてまことにありがたい。
その奥にハイライトの金色堂と副葬品などを展示した館がある。

この坂は関山の山道であるが、かつて藤原氏が治めた福島より青森に至る
奥州を縦貫する官道「奥大道」だったのである。

吾妻鏡によると
「当国の中心を測り山頂に一基の塔を立つ。
寺院の中心に多宝寺あり。
釈迦、多宝像を左右に安置す。
その中間に関路を開き旅人往還の路となす。」 
と記録されてありますから
現在のように拝みながら登り切って、また戻るのではなく
かつては中尊寺境内の真ん中を通り、北に抜ける街道だったのだ。

「白川の関より外浜に至るまで二十余ヶ日の行程なり、
その路一町別に笠卒塔婆を立て、
その面に金色の阿弥陀像を図絵す。」
その中心が中尊寺だった。

            
              

現在の山道「月見坂」脇にあるお堂のひとつ峯薬師堂
ここは目の病に御利益があるそうだ
その他に縁結びとかそれぞれ願いをかなえるお堂があり
黄金文化にちなみ、おみやげには金色の貯金箱があり
現世利益にあやかりたい人情にはありがたい。 だけど、
おそれ多い仏様に、ああしてくれこうしてくれと願うのは神仏の采配に
不平不満をいってることになる。
ないものねだりを念ずるのではなく、あるものに感謝をささげる場所
たとえば私の場合なら「視力が衰えないように、病気になりませんように」
と願うのではなく
「目が見えて、耳が聞こえて、歩くことができて・・・・ありがとうございます。」
と薬師如来様にに感謝する。
歴史を繋いできた過去の人たちに御冥福をささげる場所でないと
世界遺産の名が廃ります。

   
「五月雨の 降り残してや 光堂」
金色堂をよんだ芭蕉の句ですが
芭蕉が訪れたころにはすでに「つわものどもが夢のあと」だった。

中尊寺の魅力は今なお発掘がすすむ仏教都市遺跡と
シベリア沿海州から日宋貿易につながる壮大な古代北方黄金文化と
征夷の戦いのはて義経に代表される人間ドラマ。
あらかじめこれらの歴史を学んだうえで現在残っている遺物をみると
堪能できる。
芭蕉のように中尊寺をよむことができるかも。

関山山頂にある能舞台
現在もなお使われている。
松の絵が印象に残る。

あれに見えるが束稲山
西行がこの山に咲く桜を詠んだ
ここを越えて義経は三陸海岸づたいに北に生き延びたというのが
地元に伝わる義経北行伝説。

月曜日ですが世界遺産登録の効果でしょう
全国各地からの人出が賑わっていました。

この人出を義経伝説とともに三陸海岸に運び
三陸復興につなげましょう。

2012年9月6日木曜日

釜石大橋鉱山跡

遠野から仙人トンネルをくぐり釜石市街に入る前に、 現在は廃鉱の釜石鉱山跡がある。

 山には大規模な設備が広範囲にあったようだが、鉱山入口からはうかがい知れない。
鉱山ふもとの社宅などがあった場所に写真案内板があり、
芝が植えられ整地されて一般に解放されている。
 



 現在の購買会跡。

この絵で大橋鉱山の全体模様がわかる。
釜石にはこの大橋以外にも鉄鉱山がたくさんあった。
 

 大橋駅前に鉄鉱石と石灰石が並んで展示してありました。
仙人トンネル入口広場に石灰石をかなりみかけた。

 このサイズは鉱山ならでは、一大産業の原動力の源、力強さを感じる。

現在の大橋駅前通り。ほとんど何もない。
石好きの方には、釜石鉱山事務所(要予約)~釜石駅前ひろばの鉄鉱石モニュメント「鉄の歴史館」コースをお勧めします。
さらに時間があれば橋野の高炉跡。そして埋もれた鉱山跡。(要ガイド)