2010年12月17日金曜日

燻製づくり

脂ののったノルウエーさばをソミュール液に漬け、

寒風で乾燥させた。

桜のチップを使った。
スコップに炭をおき、チップをのせた。
ちょっと、しょっぱかったがこれでもいける。
脂が残っていてまったりした燻製にしあがった。

ストーブ、牡蠣鍋、しょっつる出汁、さば燻製。
日本酒でしょうね。
ありがとうございます。




2010年11月24日水曜日

裏山の植樹



裏山にある 森林公園の入口にオオヤマザクラを植樹した。
役場職員・町民・少年団といっしょに私も参加させていただいた。
春には公園でお花見ができるように計画したようです。



三陸沿岸は内陸にくらべると温暖な気候ですが
晩秋の色が濃くなってきました。


今年は例年より夏の暑さが厳しく長かったので漁の時期もくるったようです。
地元のサケ祭りは不漁のため中止になってしまいました。

大槌川のサケ祭りは例年どおり12月5日にあるそうです。
サケがたくさん揚がるといいですね。
燻製用に安く手に入るなら行ってみたい。




2010年10月13日水曜日

’10年キノコ狩り

キノコ山を登ると、 船越湾が一望できる場所に至る。
汗をふき水分補給。


今回も仙人トンネル手前で鹿に出会った。


アズキモダシと呼んでいる食用きのこが列になって生えている。

コウタケに似たきのこを、沢山みた。これは食べられない。




小さいけどマツタケが手に入った。
きのこは、例年より遅かった。
しかし豊作のようです。

道の駅ではマツタケが豊作のおかげで、安く売られていました。











2010年9月25日土曜日

秋の四十四田ダム
















秋の野草、花には虫が集まっていた。





ダムからは岩手山、姫神山が望めます。





岩手山にかかる雲が、まるで噴煙のように見えていました。





ダム湖畔ではルアー釣りの人が数人楽しんでいた。





これから放水下流で釣りをする人に出会った。





ヤマメ、イワナ、ブラックバスが釣れると言いました。





私は十何年前に上流で養殖施設から逃げたギンザケを釣ったことがあります。





この日は日差しが強かったが、今年は秋が足早にやってきそうです。

2010年9月20日月曜日

仙人峠の鹿

気温が下がったし、雨もふったので

そろそろマツタケが採れるのではないかと

一泊して翌朝に山にはいる予定で、

夕方三陸にむかいました。


盛岡からワインまつりでにぎわう大迫を通過して、

遠野~釜石を結ぶ自動車を利用しようとしたら

交通事故による大渋滞

時刻は19時


狭くて日中でも暗い旧仙人トンネルのコースに変更

自動車道(無料)ができてから交通量がほとんどなくなり

夜は動物が道路に出ていて肝をつぶすことが多い。








やっぱりでた~。

牡の若い鹿だ。

車のライトがあたっても草をたべている。

15メートル。

これ以上近ずくと逃げる。




逃げ足は速く機敏にバネのあるジグザグの跳躍で遠のく、が

さほど離れない場所でまた草を食べはじめる。

岩手には鹿子踊りが各地に伝え残っているが、

太鼓のリズムは鹿の跳ねる力強い動きを表現しているようだな。





翌朝雨の中マツタケ偵察にいく。

やっとキノコの気配がでてきた。

来週には採れそうな様子です。









釜石港に客船「飛島Ⅱ」がきていた。

船外アナウンスによると北海道の旅の帰りのようです。

船の旅。いいですねえ。

 はるかな はるかな 見知らぬ国へ

 ひとりで 行くときは

 船の旅がいい。

2010年8月3日火曜日

盛岡さんさ踊り




 今日は仕事が早く終わったので、開催中のさんさ踊りを写真におさめました。
今年は7月からずーっと暑い日が続き、練習大変だったでしょうね。
盛岡の観光祭りとして30年くらい前から開催されています。
東北の夏祭りとしては歴史が浅いが、年々観光客が増えてきています。
多くの人に見てもらえば、練習の甲斐もありますね。


 「さんさ踊り」そのものの歴史は古く、
藩政時代より盛岡近郊に伝統芸能として、地域ごとに特徴をもったさんさ踊りが伝わる。
その起源については、三石神社に鬼退治を祈願し叶えられ喜び祝って踊ったのがはじまり
という説が広く伝わっている。
 岩手山から噴火の際に飛んできた三つ岩を祀ったといわれる神社が、名須川町にあります。
鬼が二度と悪さをしませんという印に、この岩に手形を押したそうです。
「岩手」の名前の由来にもなっている。
 30年くらい前にこの神社をおとずれたときには確かに手形がありました。
その手形は岩が掘れて出来ているのではなく
人間の手のかたちに苔がはえていないために手形にみえるのです。
私の手は小さいのですが、ぴったり私と同じサイズでした。
たしかに数か所あったことを覚えています。
 当時なぜ苔が生えないのかとても不思議におもいました。
今はいくら岩の表面をくまなく探してもあの手形は見つけることはできません。

2010年7月19日月曜日

笛吹き峠にある日本最古の洋式鉄高炉跡


遠野物語に登場する六角牛(ロッコウシ)山~大峰山~片葉山には鉄鉱石の鉱山があった。
そして遠野から笛吹き峠をくだってすぐの山中釜石市橋野には日本で初めて鉄鉱石から銑鉄を製造した大島高任による洋式高炉が残って公園になっている。


安政5年に建てられた三座(花崗岩で組み上げた外側壁)と水路や屋敷跡地
そして辺り地面には木炭・鉱石・半加工の鉄くずなどを見ることができた。
このたびは新聞にて橋野高炉ツアーの情報を知り、ひとり先回りして現地に行き案内人のお話をうかがおうという算段でした。
予測どおり一足先に到着しておにぎりを食べ、沢水で身体を癒してまもなく御一行バス2台がやってきた。
なぜこんな山中に製鉄所があったのか?
まず鉄鉱石がある。
鉱石を溶かす燃料の木炭になる豊かな森林がある。
動力になる水量豊富な渓流がある。
笛吹き峠は遠野と沿岸を結ぶ街道であり流通の便がよろしい。
外壁の花崗岩がその場にある。
古くからの鉄の技術があった。
という好条件があげられるそうだ。
鉱山には、さらに林道を登る。すると二又になりそこに車を置いて右側を約20分ほど歩く。
そこには坑道口が二つあるそうです。
閉鎖されているが遠野側佐比内にまで通じているそうだ。
なおアメリカ金属協会から歴史的遺産とみとめられ米国外で初のヒストリカル・ランドマーク賞をいただいているそうです。
国内ではほとんど知られていない史跡が大きな賞を授与されているのだそうです。
地元の方々は、町おこしへの熱い想いをこの遺跡にいだいている。












2010年6月14日月曜日

宮澤賢治 の親友 藤原嘉藤治にちなんだ音楽祭


「セロ弾きのゴーシュ」のモデルとされ賢治の作品の理解者だった藤原嘉藤治が、賢治の意志をついで東根山(アズマネサン)のふもとを開墾しました。

その場所にある園芸の会社ビューガーデンさんや、嘉藤治さんの関係者や、地域の有志によりかとうじ山の音楽祭が今年も開催された。年に一度、今回で8回目になるそうです。

眼下に紫波町の田園風景がひろがり天気にめぐまれとても良い雰囲気で行われた。
尺八・口笛・コーラス・トーク・バンド・児童劇などが無料で楽しめる。
生活のなかに芸術文化にかかわる時間をとりいれ、
潤いのある生き方を勧めた賢治や嘉藤治の考え方を現代に継承した音楽祭である。

90歳になる指で絵を描く画家の如水さんも観客にいらして。
当日の景色をその場で作品にして、披露された。
氏は高齢ではあるが、はつらつとした魅力ある方で、
国内外で活動されているそうです。
またお会いすることとなりました。




2010年6月5日土曜日

金山トレッキング

佐比内の金山トレッキングに参加しました。
藤の花がさかんに咲いていました。
江戸時代には鉱山労働者に隠れキリシタンが潜伏していたそうです。
この石には「山太十」と刻まれていました。サンタクロス(聖なる十字)ということらしい。

白い石英の石臼?同心円の傷跡がみられた。


かなり山深く進む。
企画者によりコースの草刈りや倒木の処理が事前に行われていました。
このあたり一面がズリのようです。
白い石がみられる。が、水晶はみつからない。



峰に到着。
こんな高い場所に坑道穴がありました。
地元の方が話すには、縦抗になっていたらしい。
露天掘りの穴も無数にある。
戦前まで稼働していたようです。
400年前はキリシタンが治外法権の鉱山を隠れ蓑にしてこんな山中で生活をしていた。
当然人権も人命も法に守られてはいなかったのでしょう。
800年前の藤原平泉黄金文化をささえた金山でもあったかもしれません。
華やかな文化とはかけ離れた人たちの生活が想像される場所でした。
とほうもない量のがれきを泥まみれになりキリシタンが運びだし、わずかに得られる金を集め
寺院の仏像にほどこす。皮肉な話である。





2010年6月2日水曜日

岩手県岩手郡滝沢村 字岩手山に行く





















国道4号線盛岡を北上、国道282号線との分れから岩手山柳沢登山口に入ると、
まっすぐ先に岩手山がある。
盛岡市内どこからでも眺められる岩手山ですが、
今日は真近で見たくなり岩手山に誘われて
柳沢登山口まで足を運んだ。
岩手山に向かって道路左は、県肉牛牧場、春子谷地湿原、小岩井牧場が広がっています。
右は、自衛隊駐屯地と演習場。
帰り道自衛隊の訓練に出会いました。なかなか異様な状況でした。
迷彩服はサクラマス釣りに使いたいな。
よく見ると自動小銃も持ってる。
暑い中、へばり顔の新米も後方にいました。
山菜とりらしい車も道路わきに駐車してありました。
ワラビ、ゼンマイでしょうか。
演習地からは、ときおりものすごい砲弾の音が鳴り響いていました。
立て看板には立ち入り禁止とあるが、
山菜とりの人がはいるんでしょうね。












2010年5月14日金曜日

雫石の春・山菜
















雫石町に山菜とりに出かけました。
例年より桜の開花が遅かったので、
山菜のほうも1週間以上遅いようです。
狙いはシドケ
結果はシドケボウナタラボ
私が春の山菜でもっともうまいと思うのは
シドケのおひたし、
タラボの天ぷら。
やっぱりね、そうだよね。
シダ類がぐんぐん伸び始めていました。
ミズはまだ小さくてこれから二週間くらいかな。
秋田駒ケ岳の残雪が青空に映え
クマにも遭わず
無事に収穫してきました。

2010年5月5日水曜日

春の野草ときのこ







親戚のキノコ博士(土壌生物~日陰生物などに特別詳しい)夫婦と海の家に行った。
彼はネイチャーガイドの経験もあり北上高地の道中いろいろおそわりました。
特にゴジュウカラを見つけてくださったのは嬉しかった。
はじめてお目にかかることができました。鳴き声も確認できました。
キツツキのように樹の幹をつたって移動してました。
この鳥の名前がじつに良い。
シジュウカラも良い名前でしたがさらに勇気つけられます。

海の家周辺で、私が見過ごしていた有用植物もおそわりました。
根の赤いのがアサツキ・白いほうがノビルこれらは汁物の薬味。
クロモジの木は箸や楊枝になるそうだが。葉は香ばしいのでお湯割りによいそうだ。
野生のホップ、カラハナソウは新芽をつんでおひたしにしていただいた。
くせがないので 油炒めでもよさそう。あえ物につかえる。

博士は一般人の偏見先入観をよそに
数多くのジャンルのキノコ・植物・動物を自分で捕獲し、しかも食べる。
科学者としての実践行動にとどまらず、おいしく食べることを楽しんでいる。
本人は自身を変わり者とおっしゃていた(奥さんも)、
いやいやどうして誠実で行動力のある好人物でした。
博士自参の春きのこアミガサタケ・コンソメスープはうまかった。
別の季節にもぜひ同行していただきたいです。

2010年4月29日木曜日

大ケ生金山




古来あった金山を近代に再興したものらしい
明治から昭和の戦前まで稼働
昭和4年生まれの父が子供のころ、
志和から大ケ生を夜に見渡すと山に灯りが見られたそうです

現在は坑道口跡・露天掘り跡・精錬した場所らしい地形が
杉林の落ち葉や枯れ草の下に痕跡をとどめている。
クマが出てきてもおかしくない見捨てられた場所だ。
露天掘り跡は山一面いたるところにあり、
水が溜まってるところにはサンショウウオの卵があった。
一帯は緑褐色の石・白い石英・粘土のずりでした。
期待していた水晶は見つかりませんでした。
姿は見えないが、何種類もの美しい小鳥の鳴き声が聴くことができた
落葉広葉樹林は、わずかに芽をだしはじめたばかりで、地面に明るい日差しが差し込んでいる、
しかし鉱山跡は杉が植えられ杉林になり暗く湿っていた。
あきらかにそこは人の手が加えられた地帯であった。