2012年9月13日木曜日

中尊寺 秘佛御開帳

中尊寺の秘佛
一字金輪佛頂尊(いちじきんりんぶっちょうそん)
平安時代800年前の作
奥州藤原氏三代秀衡の念持佛が
十一月十一日まで御開帳されている。

これを機に9月10日中尊寺を参拝した。


僧侶の説明によると
首の色は当初、白色だったが退色して現在の人肌色になっている
首下は当初の色を再現して手を加えているのだそうです。
とても格調高い仏像でした。

駐車場から月見坂を登り左右に地蔵堂とか弁慶堂とか薬師堂とかが沢山ございます。
地蔵菩薩さまや弁慶・義経や薬師如来さま、大日如来さま、阿弥陀如来さま、お釈迦さま
沢山お参りできてまことにありがたい。
その奥にハイライトの金色堂と副葬品などを展示した館がある。

この坂は関山の山道であるが、かつて藤原氏が治めた福島より青森に至る
奥州を縦貫する官道「奥大道」だったのである。

吾妻鏡によると
「当国の中心を測り山頂に一基の塔を立つ。
寺院の中心に多宝寺あり。
釈迦、多宝像を左右に安置す。
その中間に関路を開き旅人往還の路となす。」 
と記録されてありますから
現在のように拝みながら登り切って、また戻るのではなく
かつては中尊寺境内の真ん中を通り、北に抜ける街道だったのだ。

「白川の関より外浜に至るまで二十余ヶ日の行程なり、
その路一町別に笠卒塔婆を立て、
その面に金色の阿弥陀像を図絵す。」
その中心が中尊寺だった。

            
              

現在の山道「月見坂」脇にあるお堂のひとつ峯薬師堂
ここは目の病に御利益があるそうだ
その他に縁結びとかそれぞれ願いをかなえるお堂があり
黄金文化にちなみ、おみやげには金色の貯金箱があり
現世利益にあやかりたい人情にはありがたい。 だけど、
おそれ多い仏様に、ああしてくれこうしてくれと願うのは神仏の采配に
不平不満をいってることになる。
ないものねだりを念ずるのではなく、あるものに感謝をささげる場所
たとえば私の場合なら「視力が衰えないように、病気になりませんように」
と願うのではなく
「目が見えて、耳が聞こえて、歩くことができて・・・・ありがとうございます。」
と薬師如来様にに感謝する。
歴史を繋いできた過去の人たちに御冥福をささげる場所でないと
世界遺産の名が廃ります。

   
「五月雨の 降り残してや 光堂」
金色堂をよんだ芭蕉の句ですが
芭蕉が訪れたころにはすでに「つわものどもが夢のあと」だった。

中尊寺の魅力は今なお発掘がすすむ仏教都市遺跡と
シベリア沿海州から日宋貿易につながる壮大な古代北方黄金文化と
征夷の戦いのはて義経に代表される人間ドラマ。
あらかじめこれらの歴史を学んだうえで現在残っている遺物をみると
堪能できる。
芭蕉のように中尊寺をよむことができるかも。

関山山頂にある能舞台
現在もなお使われている。
松の絵が印象に残る。

あれに見えるが束稲山
西行がこの山に咲く桜を詠んだ
ここを越えて義経は三陸海岸づたいに北に生き延びたというのが
地元に伝わる義経北行伝説。

月曜日ですが世界遺産登録の効果でしょう
全国各地からの人出が賑わっていました。

この人出を義経伝説とともに三陸海岸に運び
三陸復興につなげましょう。

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